1月4日、初めて子供と二人で散歩に出かけた。生後2か月ちょっと。
ベビービヨルンというベビーキャリアをつけて、胸の前に子供を抱いて出かけた。
子供のころ、ランドセルを、背中ではなくて胸の前に回して野球のプロテクター代わりにして遊んでいたが、ちょうどそんな感じになる(笑)。
行先は、近所の公園。子供が生まれる前から決めていた行先だ。
そこから、さらに丘の上に、もうひとつの公園がある。その公園から公園へ向かう坂道は、何の変哲もない道なのに、私はなんとなく好きだった。
子供を連れて、「陽の光がきれいだね。赤い木の実がなってるね。」などと話しかけながら歩いていたとき、ふいに、とてつもない懐かしさにおそわれて、目頭が熱くなった。
青い澄んだ空。穏やかな午後の陽射し。ゆっくり揺れる木々。
そう、それは幼いころ、見慣れた風景だった。
生まれ育った京都の東山のふもと。坂道を登っていくと、お寺があった。友だちとふざけながら駆け上った道・・・。
「子供ができると、もう一度、子供時代を楽しめるぞ。」と友人から聞いたことがあるが、こういうことなのか。子供と一体化して、子供の気持ちで見るから、いつもの風景が違って見える。
それまで、子供時代を楽しめるというのは、もう一度ボール遊びをしたり、アニメ番組を見たりできる、というぐらいに思っていたが、それ以上らしい。
このとき、私は、どうしてこの坂道が好きなのか、はっきりとわかった。
幼い自分が、目の前を走っていくのが見えた。
「もう花が咲いてるね。これは、ボケの花かなあ。」「あれが、たこ揚げだよ。ジャイロカイトといって、上げやすくなった洋凧なんだ」とか、ずーっと「語りかけ」というか解説(?)をしながら、ゆっくりゆっくり歩いているので、今までなら気にもとめないような些細なことに気づいたりする。
子供のおかげで、ちょっとした散歩でも、発見の連続だ。
子供になりきること。それが、この「子供時代を、もう一度、思いっきり楽しむ」秘訣にちがいない。
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